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集中できないのは意志の問題ではない

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― 脳の司令塔「前頭前野」を整えるという新しい視点 ―

最近、ふと気づいた。
長い映画を最後まで見られない。
本を読んでも途中でスマホを触ってしまう。
ブログを書いても、どこか浅く、AIに頼りたくなる。

昔はもっとじっくり考えられたはずなのに、
今は「途中で思考が切れていく」ような感覚がある。


なぜ心を鎮めたいと思ったのか

ぼくは昔から緊張しやすく、人との関わりでも気を遣うタイプだ。
ちょっとしたイベントでも眠れなくなるような、
いわゆる“繊細さん”の気質を持っている。

そんな自分がリモートワークを始めてから、
集中力を保つことがいっそう難しくなった。
気づけば別の業務をつまみ食いし、
タブを開きすぎて、どれも中途半端になる。

結果、一つ一つのアウトプットに深みがなくなっていた。
上司から「深さが足りない」と指摘されたとき、
たしかにそれは正しかった。


「心を鎮めることは、脳を変える」

― 神経科学者リチャード・デビッドソンとの出会い ―

そんなときに出会ったのが、
神経生物学者リチャード・デビッドソンの講演動画だった。

動画の中でデビッドソンは、瞑想が脳に及ぼす具体的な変化を紹介していた。

  • ストレスは海馬を萎縮させるが、瞑想はその回復を促す
  • 瞑想によって前頭前野(注意・自己制御の中枢)が強化される
  • 感情を調整する脳ネットワークの結びつきが変化し、
    「感情を客観視する力」が高まる

さらに彼はこうも述べていた。

「薬や外的刺激に頼らなくても、
自分の意図と訓練によって脳は変えられる。」

この言葉が、ぼくの中で強く響いた。
「心を鎮める」という行為が、
単なる癒やしではなく神経的なリセットでもあることを、
科学が証明していると知ったからだ。


情報社会が奪った“思考の深さ”

スマホやSNSが集中力を奪うという話はよく聞く。
でも、実際にはやめたからといって劇的な変化を感じたことはなかった。

ところが最近、自分の中に明確な変化を感じた。
長文を読む力が落ち、
文章を書くときもすぐにAIに頼るようになっていた。

AIが文章を整えてくれる安心感の裏で、
ぼくは“自分の言葉に責任を持たなくなっていた”。
文章の中に、考え抜いた形跡がなくなっていた。

妻と話していても、
どこかで別のことを考えている自分に気づく瞬間が増えた。
「このままじゃ、思考力そのものが鈍ってしまう」
そんな焦りを感じた。


集中を取り戻す鍵は「前頭前野の休息」

脳の司令塔である前頭前野は、
思考・判断・集中・感情制御といった“人間らしさ”の中心だ。
しかし、マルチタスクや情報過多によって
この領域は常に過稼働している。

結果として、

  • 注意が続かない
  • イライラしやすい
  • 同時にいくつも抱えて混乱する
  • 思考の深さが薄まる

といった症状が現れる。
まるで“疑似ADHD”のような状態だ。

つまり、現代人の「集中できない」は意志の弱さではなく、
脳の設計に対して刺激が多すぎるだけなのだ。


静けさで脳をリセットする

デビッドソンの話を聞いたあと、
ぼくは10分間だけ目を閉じ、呼吸に意識を向けてみた。

不思議なことに、
それだけで頭の中が少し整理されたように感じた。

瞑想は特別な行為ではない。
ただ「思考を一度手放す時間」をつくるだけでいい。

深呼吸を3回する。
スマホを伏せて、静けさに戻る。
それだけで、前頭前野は再びバランスを取り戻す。

脳を整える第一歩は、何かを“する”ことではなく、
“やめる”時間を持つこと。


静けさは、思考の筋トレである

30を過ぎて、集中できない自分に焦りを感じた。
けれど、それは老化ではなかった。
脳が疲れていただけだった。

集中とは、がんばることではなく、
「静けさを選ぶ」こと。

スマホを置き、呼吸を整え、数分間だけ心を鎮める。
それは意識の筋トレであり、思考の再構築でもある。

頭を使う前に、まず脳を休ませよう。
集中力は、静けさの中から生まれる。


参考:リチャード・デビッドソンの主な知見

  • ストレスは海馬を萎縮させるが、瞑想はその再生を促進する
  • 瞑想は前頭前野の機能を強化し、注意力と感情制御を高める
  • 表情(ボトックスなど)も脳に影響し、感情理解力を変える
  • 感情は身体全体(腸・神経系)と連動している
  • 薬よりもまず「心の使い方」で脳は変えられる
  • 瞑想と運動の組み合わせは理想的な脳習慣