人と暮らすようになってぼくはついに美味しいご飯の秘密を発見した。
はやすぎる食卓
「ご飯だよ!」と母はいつも大声で呼び出した。夕飯時になると、ぼくたち兄弟は母の声に導かれてリビングに集まった。
しかし、到着すると、ご飯の用意はまだ始まったばかり。ぼくは兄や弟と一緒に、「お母さんは全然ご飯ができてないのに呼び出す」と不満を漏らしていた。
ぼくの実家は共働きで、母親がいないときは祖母がご飯を作った。しかし、祖母も同じように、ご飯がまだできていないのに私たちをリビングに呼びつけた。
ぼくたちは、「まただよ、どうせ(ご飯は)できてやしないよ」と文句を言いつつ席に着いた。
母や祖母が呼ぶ理由
しかし、今ではその理由がわかる。
ぼく自身が誰かのためにご飯を作るようになり、お米が炊きあがる時間を調整し、じゃがいもの煮込み時間を計算し、料理の出来上がりの順番を考慮するようになった。
何か作業していそうだったら、火を弱めて出来上がりをずらす。そして、料理を皿に移したら、一秒も待たずに食べてほしい。
母や祖母が私たちを早めに呼び集めたのは、できたての一番美味しいごはんを食べてほしかったからだったのだ。
やさしさと美味しい料理
人のやさしさというのは、なぜ後から気がつくのだろう。
人は他人がいるからやさしくなれる。そして、そのやさしさが美味しい=嬉しいことを生み出す原動力となるのだ。
今になって、母や祖母の料理の美味しさの秘密に気がつく。
美味しい料理を食べてほしい、とはまさに母や祖母のやさしさであった。
一人暮らしでご飯を作っているときには気づかなかったが、誰かにご飯を作るときは、美味しいごはんを最高の状態で食べてほしいと思う。
だからぼくも、「ご飯だよ、もうできるよ」と言って早めに席につかせる。
きっとぼくも家族から口やかましいと思われていることだろう。